紀伊半島ロングトレイル事業

紀伊半島の山は険しく、一度古道に入るとその神秘的な雰囲気に身も心も包まれます。

 

 

これまで何人もの巡礼者やトレイル(歩き旅)の愛好家は、どんなことを考えてこの道を歩いたのか? 自分と向き合う時間をとてもプレシャスに感じることができるロングトレイル です。

 

 

 

人里離れた農村集落はのどかな暮らしぶりを醸し出し、一方、海辺の漁村集落には古くからの漁師たちの魚を獲るスキルに長けた男たちの暮らしぶりがそのまま残っているユニークな半島です。ちなみに紀伊半島は日本で最も大きな半島です。山の文化と海の文化の両方を併せ持つその最も大きな半島に、熊野三山が位置し、聖なる半島として名高く、今も往時の趣を今に宿しているわけです。

なお、紀伊半島の尾鷲周辺に鬼のつく地名が多いのは、奈良の京(平城京)を守るためだったという一説があります。山で修行する修験者たちはやがて霊力を持つようになり鬼と同一視されました。それまでは鬼は山の神として崇められていたのですが、「鬼は人と食う」という怖くて悪いイメージを植えつけ、それを地名にも利用するこことで、その場所に心理的な結界を作ったというのがそもそもの発端です。

 

 

さらにもう一つが軍事的側面です。奈良の都は、東や南の紀伊半島側(吉野や熊野、尾鷲)から攻められると弱い点があります。奈良の西側に比べ、東や南は開発がまだされておらず手薄だったのです。また紀伊半島の南東側の尾鷲付近は入り組んだ海岸線が特徴的で、水軍が身を隠すに適していました。つまり、紀伊半島は、鬼の霊力を使って作られた結界でもあり、東や南から攻め入る敵軍を打ち払うための軍事的拠点でもあったのです。こうした話を聞くと、紀伊半島が人を近づけない神秘的な雰囲気があることに合点がいきます。

 

 

一方で、ツーリズムの方へ目を移すと、国立公園の利活用、ロングトレイルの整備、アドベンチャーツーリズムの推進、日本遺産の活用などの機運が高まってきています。この紀伊半島は祈りの道として千年以上の歴史があるので、何を今更と言われるでしょう。

 

 

そもそも観光客がどっと押し寄せて来たって宿泊所のキャパはそもそもない。また崖っぷちを歩いたり、そもそも1日あたりに歩く距離が長くハードだったりと、リスクも伴う巡礼路です。そう言われると逆にアドベンチャー心をくすぐられ、ついつい歩きに行きたくなるものですが、デスティネーションづくりにおいては、地元の心に寄り添ったツーリズムのあり方が望まれます。それがサステナブルなあり方であり、地元からも求めらている考え方です。四方よし。顧客、受け入れ側、旅行会社、そして環境。これが成り立つ持続可能な旅の形態を模索していくべきです。

 

 

歴史ある古道が今後どのように変わることなくその価値が保たれていくのか。千年以上にわたって愛され続けている古道であるだけにその責任も重い事業となっています。

【Ehime Kurushima-kaikyo-ohashi Bridges, from Mt. Kiro】【Gunma Carp Streamers, Akaya Lake】【Yamaguchi Farmer in Higashi-ushirobata Rice Terrace】
【Hiroshima Streetscape of Yutakamachi-Mitarai】【Niigata Wakabayashi-tei House】©経済産業省、【表示4.0 国際】ライセンス https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/